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OASI-Z

Author:OASI-Z
札幌市出身で現在新潟市在住のOASI-Z(オアシーズ)です。
10歳の時に兄の影響で洋楽に目覚めたものの、80年代後半から急にロックがつまらなくなり、「競馬必勝法」の研究に没頭するようになる。その間、約15年以上のブランクがあったものの、2006年頃から空白を取り戻すかのように、洋楽を聴き始め今日に至っております。
音楽以外では、競馬を含むスポーツ鑑賞。サッカーJ1、アルビレックス新潟の熱心じゃない サポーターとしても活動中。

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札幌オリンピックの想い出~1972年2月のヒット曲

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今週の土曜日(2010年2月13日)より、バンクーバーオリンピックが始まります。
個人的には、浅田真央、上村愛子、岡崎朋美、高木美帆に注目(←女性ばっか(笑))
ですが、非常に見所満載のオリンピックだと思います。

しかし「冬季五輪」は「夏季五輪」に比べると、イマイチ 地味 な印象を受けてしまうのは否めません。
それは、競技種目が非日常的であったり(ジャンプとかリュージュとか、誰があんな怖いものをやるか)、世界の中でも参加できる国が限定されるため、盛り上がりに欠けてしまうのでしょう。

私にとって「想い出の冬季五輪」というと、やはり1972年の「札幌オリンピック」です。
当時の札幌は、オリンピック開催に向けて急速に開発が進み、活気に満ち溢れておりました。
「地下鉄」「地下街」が作られ、人口も一気に「100万人を突破」。政令指定都市の仲間入りを果たしました。

また当時の札幌の学校では、オリンピックの見学に全校をあげて行ったものです。
私は当時小学5年生でしたが、私の小学校では「真駒内屋外スケートリンク」に「男子スピードスケート」を観に行きました。
(確か、三個の金メダルを獲ったオランダのアルト・シェンク選手が出場していたと思います)

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大会のハイライトは、なんといっても「日の丸飛行隊」「金・銀・銅」のメダルと、表彰台を独占した「70m級ジャンプ(現在のノーマルヒル)」に尽きると思います。
当時、学校の「図工の授業」で「札幌オリンピックの想い出」を、絵に描く課題が出たとき、クラスの9割の生徒が「三人の表彰台の姿」を描いたものです(笑)。
もちろん、私もその中の一人ですが・・・(^^ゞ。
まぁ、先生としては観に行った「スピードスケート」を、描いて欲しかったんでしょうけどね。


当時はヘルメットをかぶらず、普通の「スキー帽子」だったのが、信じられません。
また、手を前に出すアプローチ・スタイルと「V字飛行」じゃないのも懐かしいですね。


でも、70m級ジャンプでの思わぬ「メダル独占」が90m級ジャンプ(今のラージヒル)で、日本選手に過大なプレッシャーをかける事になったのです。

特に、冬季五輪史上「日本人初の金メダル」を獲得した、70m級ジャンプ金メダリストの笠谷幸生の当時の安定感はバツグンで、日本国民の期待を一身に背負う形になってしまいました。当時、小学5年生の私も「相撲の大鵬と、ジャンプの笠谷は負けない!」と純粋に信じていました。

90m級ジャンプの1本目を終わって、「106m」を飛んだ笠谷は2位の好位置につけました。
そして、1本目トップだった外人選手が2本目「87.5m」の失敗ジャンプに終わり、笠谷は「90m」以上を飛べば「メダルは確実」、「95m」を超えれば「金メダル」も間違いない状況になりました。
一本目「106m」を飛んだ笠谷に「95m」を超えることは、そう難しくないと思われました。

笠谷の飛躍順は、確か一番最後か、最後から二番目だったと思います。
そして、私の心臓がバクバクと「今にも飛び出さんばかり」の中、笠谷のスタート順が来ました。

スタート・フラッグが上がるや否や、笠谷は「もう、たまらん!」という感じで助走路に飛び出し、「気負いと力みとプレッシャー」の中で踏み切ると、横風に煽られバランスを崩し、いつもの飛行曲線を描けないまま、観客の歓声と悲鳴の中「85m」付近にストンと着地したのです。
(結果は7位)
後にも先にも、あんな笠谷の失敗ジャンプは、見たことがありませんでした・・・。

この光景は22年後、1994年のリレハンメル五輪の「ラージヒル団体」における原田のジャンプで再現されることになるとは、夢にも思いませんでしたが・・・。
(それがあったからこそ、長野五輪のラージヒル団体での感動の涙に繋がったんですけどね)

今回のバンクーバーオリンピックでも、日本選手にはプレッシャーに押し潰されることなく、「夢にまで見たオリンピックの舞台」で思いっきり実力を発揮して欲しいと願うばかりです。

そして、私も「過度な期待をしないように」しなければね・・・(´Д`)。

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【今日の5曲】  ~テーマ『1972年2月のヒット曲』~
1.恋は二人のハーモニー・・・グラス・ルーツ
2.悲しきジプシー・・・シェール
3.クエスチョンズ67/68・・・シカゴ
4.オールド・ファッションド・ラヴ・ソング・・・スリー・ドッグ・ナイト
5.気になる女の子・・・メッセンジャーズ


1972年2月のヒット・チャートを見ても、札幌オリンピックとは正直リンクして来ないのですが(汗)、これらの曲が上位を占めていたようです。
この5曲はいずれも自分が所有していたシングル盤で、ラジオばっかり聴いていた当時の自分のことが、懐かしく蘇ってきます。

グラス・ルーツは、当時ご機嫌なアメリカン・ポップスを連発していました。
この曲の想い出は小学生の時「お楽しみ会」なるものがあって、各自が好きなレコードを持ち寄って聴きながらゲームなどをしながら過ごすのですが、皆が「歌謡曲」のヒット曲で盛りあがった後に、この曲をかけて「ドン引き」したことです(笑)。

シカゴスリー・ドッグ・ナイトは、いつもライバルのようにヒット・チャートの順位を争っていた記憶があります。(サタディ・イン・ザ・パークとブラック&ホワイトとか)

シカゴはいわゆる「ブラス」が特徴で、メンバー・チェンジを繰り返しながら、今でも現役活動を続けています。この「クエスチョンズ67/68」は、彼らのデビュー曲ですが日本ではこの時期にリリースされています。

そして、スリー・ドッグ・ナイトの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」は、彼らの代表曲でもあり、ポップス界に燦然と輝く「不朽の名作」と言えるナンバーです。

最後の「気になる女の子」は数年前、スポーツドリンクか何かのCMに使われた、軽快なポップ・ソング。2分弱という短い曲のため、ヒット・チャート番組では一度曲が終わって、また最初からかけ直すということが頻繁に行われました(笑)。

今思うとシェール「悲しきジプシー」のジャケットって怖いですねぇ。よくレコードを買ったなぁと思うのですが、哀愁帯びたメロディが、妙にこのジャケットにマッチしていていいんですよねぇ~。
でも歌詞に「オレハ、イクゥ~」とか「ア、ニラマレタァ~」と聞こえる所があるんですよ。
やっぱ、怖いですねぇ(爆)。

注)「オレハ、イクゥ~」→ whatever he could
  「ア、ニラマレタァ~」→ And lay their money down



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THEME:洋楽ロック | GENRE:音楽 |

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